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--港区


小碓成章  明徳支部  東築地支部  西築地・港楽支部  大手支部


港西支部  高木支部  南陽支部  中川支部


小碓成章支部               支部長  株式会社北川組運輸  北川 初博


   
支部に所属する法人数 法人会加入法人数加入率

386社

158社

40.9%



“正保学区の生誕”
小碓小学校が2,000名というマンモス校となり、昭和55年紆余曲折を経て、正徳町・正保町・川間町の3町をもって正保小学校が誕生しました。
“環境・馬社会・小碓学区の問題点”
隣接する競馬場と千頭にも及ぶ競走馬の調教と運動が、周辺の広場、一般道路で行う為、弊害と危険度は計り知れなかった。
昭和52年、弥富トレーニングセンターが開設され、厩舎・競走馬・厩務員の移転に依り、周辺地域の環境が一変し、住民の喜びはひとしおでありました。
“剛・動・柔・静”
威風堂々と古式ゆかしく威容を呈している愛知県武道館。
武道の理念と修練の心構えをしっかりとふまえて、人間形成に結びつけ、青少年の人間育成が使命であるとして、平成5年7月に開館した。
“百曲り街道 中川区尾頭橋~港区正徳町”
熱田新田開発が行われた後、新田の北側に自然にできた道路でくねくねと曲がっており、呼び名がついた。
この街道は慶安2年(1649年)熱田新田の干拓(うめ立て)が行われた後、この新田の北側に自然に出来た道路である。その為くねくね曲がっており「百曲り街道」と呼ばれる様になった。


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明徳支部               支部長  有限会社 アンドー工業  安藤 隆典


   
支部に所属する法人数 法人会加入法人数加入率

565社

182社

32.2%



我が明徳支部は、名古屋市港区の西北部に位置し、明徳学区と当知学区からなっています。
明徳の名の起こりは、明治22年の市町村制実施に伴い、熱田新田西区、当知新田、土古山新田を合わせ、明徳村が誕生したのが始まりです。
その後、明治39年町村統合により”明徳”の町名はなくなりましたが、昭和50年代に入り、公営の集合住宅の相次ぐ完成により、人口の増加が著しく、小碓小学校から明徳小学校が独立し、また昭和53年には明徳小学校から当知小学校が独立し、それぞれ往時の名を復活し、現在に至っています。
当支部の管内は、従来の田園地帯から急激な都市開発により発展をとげた地域で、区外よりの進出企業が多く、新設法人が多い反面、企業閉鎖による退会者も多く発生しています。
現在管内の登録法人数564社、内法人会加入法人数303社となっており、加入率は53.7%と、名古屋中川法人会23支部中18位と下位に位置しています。


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東築地支部               支部長  前田バルブ工業株式会社  前田 康雄


   
支部に所属する法人数 法人会加入法人数加入率

177社

83社

46.9%



東築地支部は、南北8キロメートル、名古屋港と堀川・山崎川・大江川・天白川に囲まれた細長い地域である。
支部管内には、北から木場町、東築地町、竜宮町、大江町、本星崎町、昭和町、船見町、潮見町と並んでいるが、昭和初期に埋立て造成されたところが多く、町名も海に因むものが多い。
地域の特殊性から大企業の立地が多く、大同特殊鋼、東レ、三菱重工、中部電力、東亞合成などの工場群と、エネルギー供給基地としての発電所、石油各社の油槽所が連なり、日本経済の高度成長に伴い、新増設が続いてきたが、バブル崩壊後の不況により撤退したり、リストラを実施した企業も少なくない。
一方、堀川に面した木場町周辺は高層マンションの建ち並ぶ住宅地帯であり、かつての輸入木材の貯木場や、その木材を加工する合板工場で栄えた面影はない。
管内には、東から西へ港新橋を経て四日市へ通ずる国道23号線、工場地帯を北から南へ縦貫し、天白大橋を経て知多産業道路へ通ずる県道55号線が通り、物流の大動脈となっている。
管内の法人会は、地域の特殊性から大企業の関連会社、下請企業、物流関連企業が多いのが特徴である。
日本経済の不況の影響を受け、業績の厳しい法人も少なくない状況ではありますが、税務ご当局、会員の皆様のご指導をいただきながら、一層の組織拡大に努め、相互交流を更に充実させ、よりよい企業経営を目指し頑張っていきたいと思います。


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西築地・港楽支部                支部長  名海運輸作業株式会社  久保 茂樹


   
支部に所属する法人数 法人会加入法人数加入率

441社

196社

44.4%



当支部は、中川区の南部に位置し、名古屋の表玄関である港を中心とした西築地、港楽の2つの学区より支部を構成しております。
名古屋港は明治40年の開港以来、昭和の東海大地震、大戦による被災、伊勢湾台風などにより甚大な被害を受けましたが、持ち前の築港魂で短期間に復興し、その後は日本経済の復興の基礎となるべく国内はもとより国際貿易港として目ざましい発展を続けてまいりました。
平成11年度より海外貿易の扱屯数は日本一を続けており、貿易黒字の最大の物流拠点となっております。
港の主なる機能は次第に西部埋立地に移り、貨物船を見ること、汽笛の音を聞くこと、港で働く人々や外国船員の姿を築地界隈で見かけることは殆どなくなってきました。
しかし、数年前にガーデン埠頭に高さ63mの威容を誇るポートビル、南極観測船として係留されている博物館“ふじ”、又、西隣には我国でも有数規模を誇る水族館ができました。
更に、大観覧車を中心とした遊園地及び結婚式場建設等、港のイメージはこの十数年間で随分様変わりし、観光・文化施設の充実により市民の憩いの場として、夜遅く迄連日賑わいを見せております。


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大手支部               支部長  株式会社 中部産業サービス  増田 兼良


   
支部に所属する法人数 法人会加入法人数加入率

257社

113社

44.0%



大手支部は、南が名古屋港中央部に面し、東が中川運河、西は荒子川、北は旧横堀運河 (荒子川支線) に囲まれた地域です。
寛政12年 (1800) 第九代藩主 徳川宗睦の時代、熱田奉行津金文左衛門などにより干拓事業が開始され、半年後の享和元年正月八日、最後の海用口 (みよぐち) がしめられ、熱田前新田が誕生しました。
その中央部、中ノ割「イ」から「レ」と南ノ割に、海と面する大きな堤 「オオテ・ツツミ・オオ・ティ」 があったところから 「大手」 と呼ばれるようになりました。
また、大正9年都市計画法による指定をうけ、中川西土地区画整理事業、S.4.中川運河沿線土地区画整理事業、S.4.中川運河土地区画整理事業により、宅地化が進み、31年決定、34年着工、途中、伊勢湾台風により被災、名四国道の開通等を経て、43年に完成の荒子川南部土地区画整理事業により学区内の水田は、完全に姿を消しました。
昔は、土古町の方まで、わが社の築三町からずっと水田だったそうです。
中之島通りには小さな水路があり、今ではりっぱな緑地帯となっております。また、大手コミュニティセンターが20年ほど前に出来、地域の方々の情報交換の場となっております。


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港西支部               支部長  柘運送株式会社  柘 勝


   
支部に所属する法人数 法人会加入法人数加入率

493社

148社

30.0%



当支部は港西、稲永、野跡と三つの学区からなり、北は国道23号線を境に、南は名古屋市の最南端金城ふ頭、東は荒子川、西は庄内川に囲まれた、南北にほぼ長方形をなしています。
港西学区は、昭和15年に誕生した。南部十一屋地区は、近年工業地帯として活況を呈している。
又、主人の身代わりになって3本足になった有名な盲導犬「サーブ」が育った中部盲導犬協会が、荒子川公園に隣接して在り、毎日厳しい訓練が行われています。
稲永学区は、昭和51年、港西学区から独立誕生した。
市道梅ノ木線をはさんでの商店街と伊勢湾台風以後多くの高層市営住宅が建設され、人口増加が著しい町である。
野跡学区は、大部分が昭和年代になってから埋め立てられた土地で、昭和52年、稲永学区から独立し誕生した。
学区の北端から伸びて、庄内川に面し、稲永公園がある。
この公園は、港区内では、最大規模を有するスポーツ公園で、「稲永スポーツセンター」が建設されている。
金城埠頭には、海部郡飛島村と結ぶ名港西大橋が、名古屋環状2号線の海上部として開通し、朝夕美しい姿を海上に写し出している。
中央大橋、東大橋と建設され、将来は第2東名とつながる予定です。
中央部には、国際展示場が、大円型屋根を銀色に輝かせています。


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高木支部               支部長  協和塗装工業株式会社  藤木 裕二


   
支部に所属する法人数 法人会加入法人数加入率

349社

100社

28.7%



“昔は田園地帯……海水浴場も”
高木支部は高木学区と神宮寺学区の二つの小学校区で構成されています。
この地域は江戸時代中期から後期にかけて干拓され、主として稲作を生業とする幾つかの小集落が点在していました。
大正時代からは県立惟信高校(大正14年開校の惟信中学が前身)のあたりを電車(下之一色軌道会社:尾頭橋~下之一色、築地電気軌道会社:下之一色~築地口…後に市営となった)がのんびりと走るのどかな田園地帯でした。
あまり知られていませんが庄内川河口付近には多加良浦海水浴場もあり市民の憩いの場所でもありました。
料理屋、土産物屋、遊技場などがあってかなりの賑わいだったようです。
“今は中小工場・住宅地”この地域の風景が一変したのは昭和34年の伊勢湾台風です。
高度経済成長期の直前に襲った大災害からの復興は水田を埋め立てて宅地化を進めることから始まりました。
中小工場が建設されそこで働く人々の住宅や生活のための店舗などが徐々に増加し、昨今では高層の集合住宅も見られるようになり、工場、住宅、店舗が混在する地域となっています。
また古くからこの地に住んでいる人たちが指導的な立場で地域活動をされているお陰で、時として無味乾燥になりがちな近隣関係が程よい連帯感を保ち働きやすく住みやすい事業、住環境となっています。


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南陽支部               支部長  株式会社川ばた乃エキス  川端 安利


   
支部に所属する法人数 法人会加入法人数加入率

596社

177社

29.7%



南陽支部は、名古屋市港区の西部にあって、旧海部郡南陽町全域が管轄となっており、その中に福田、西福田、南陽学区と三つの学区を有しております。
北には国道1号線が、南には国道23号線が(名四国道)が走り、中央を南北に、国道302号線が走り、交通網の整備されつつ、また、東には新川庄内川が流れ、西には日光川が流れ、昭和34年9月の伊勢湾台風の教訓も生かしながら、海抜ゼロメートル地域という土地柄、水に対する関心の強い地域でもあります。
名古屋市内にあって農業生産においては有数の地域でもあり、農地の半分以上が稲作で、ほかにほうれん草、ブロッコリーなどの栽培も盛んです。
近年、都市化は著しく、緑あふれる街へ発展し、分譲住宅、分譲マンションも建ち、また、公共の公園施設の開園、大型ショッピングセンターの開業、また道路網の整備により住みよい環境へと変化し、人口の増加は日を増して激しくなっております。
その中で新しい企業の設立、当地域への転入も多く、加入奨励が支部の活動の大きなポイントとなっております。


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中川支部               支部長  株式会社CKK  岡田 昌幸


   
支部に所属する法人数 法人会加入法人数加入率

248社

80社

32.3%



本会と同じ「中川」の名称を頂いております当支部は地下鉄名城線「東海通」駅を基点に東西南北に支部エリアを構えています。
北は中日自動車学校、南はアピタ東海通店以北、東は堀川、西は中川運河に囲まれた地域になります。
名古屋港水族館がオープン以来、交通の足として開発されるかと思われた東海通から南北に伸びる幹線道路の江川線ですが、期待された様な展開はありませんでした。
しかし、昨今名古屋高速が日比野から六番町を経由して港区役所周辺が開設される運びとなりました。
この為道路の拡張工事が進められており建物の取壊しが急速に進んでおります。
ところで、当支部に所属する法人数は2月現在で244社あり、法人会加入法人数は167社で加入率は68.4%であります。
地域柄製造業の会員が多く、それぞれ大手から中小に至るまで個性のある物作りに汗を流されております。
又最近はマンションの建設も多く、飲食店をはじめ不動産業の企業が東海通周辺には多く見られます。


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